「裁判員制度と量刑」(井田良慶應義塾法科大学院法務研究科教授)
石川 均(法学部法律学科 2011年4月)
2012.9.9
大阪慶友会講演会レポート
「裁判員制度と量刑」(井田良慶應義塾法科大学院法務研究科教授)
石川 均(法学部法律学科 2011年4月)
残暑が残る9月8日(土)?9日(日)の二日間、大阪市中央区大手前にある「ドーンセンター」において大阪慶友会主催の講師派遣講演会が行われました。講師は慶應義塾法科大学院法務研究科、井田良(まこと)教授です。このたび大阪慶友会執行部からの依頼がありましたので誌上にてご報告します。
生きている間に一度は経験してみたいことに「裁判員」があります。でも私の周囲にはその経験をされた方がまだいません。それほど選ばれる確率が低いものなのでしょうか。ひょっとしたら道路交通法違反でこれまで何回か反則キップを切られた私にはその資格がないのかもしれません(※あとで調べたら欠格事由は禁固刑以上に処せられた人だそうです)。このようにルール順守や法律知識に疎いながらも法学部生気取りの私が、畏れ多くも「理論刑法学における第一人者」といわれる井田良先生の講義を聴講してまいりました。
慶應義塾の常任理事(会社でいえば上席取締役)の肩書きをお持ちの先生が慶友会の講師派遣にご協力いただけるのは異例のことだそうです。当然通信生の関心も高く、夏スクの疲れをものともせずに36名もの通信生が、大阪慶友会会員や法学部生のみならず、多方面から参加し、参加者全員が緊張の面持ちで講義は始まりました。私自身も10月の科目試験に向けて、法律学科の必修科目である「刑法総論」のレポートを提出し終えたばかりで、難解な法律用語の理解や刑法独特な論理の組み立て方に悪戦苦闘し、その内容にまったく自信がありませんでした。その意味でも実にタイムリーな講義となりました。
講義のテーマは「裁判員制度と量刑」です。「量刑」とは裁判官が当事者らの言い分や証拠を刑法の定める範囲内で酌量し、判決を下すことです。量刑の決定は裁判官の専権事項ですが、確定した犯罪の刑罰の度合いを決める際には前例を重視する先例主義を採用してきました。そこには一定の“相場”が生まれます。それが私たちには聞き慣れない「量刑相場」というものです。
先生は統計を用いながら、近年の我が国の犯罪動向は安定しており、殺人の認知件数についても年々減少傾向にあるにもかかわらず、法定刑の引き上げが行われるなど重罰化の傾向にあると説明されました。そのような今日的な刑罰積極主義の要求はメディアの発達による影響も大きい。メディアによるいびつな犯罪報道が一般市民の不安の増長を促し、誤った情報によって非合理的な行動が生みだされているとの分析はなるほどと思わせる内容でありました。
その上で先生は、刑の重罰化が必ずしも犯罪の予防につながるとはいえないとの意見を示されながら、応報とは結果発生に対する反動のことではなく、責任に見合った刑を科すことを基本としなければならないと指摘されました。ご自身の著書の中でも「刑法の存在理由が、犯罪によって害された具体的被害者の救済ないし報復感情の満足のためでなく、刑法規範の有効性という公的な利益の保護のためにあることを理解させるべきである」と刑法理論の重要性を説かれています。(「変革の時代における理論刑法学」21P)
「人はいつの時点から人となり、いつまでが人なのか」(人の始期と終期)と聞かれて「はい、それはこういうことです」と即答できる人はそう多くはないでしょう。でも殺人罪や致死罪といった犯罪を成立させるためにはこの生命・身体の定義は非常に重要です。例えば、陣痛の始まった妊婦さんがタクシーで病院に向かう途中、泥酔運転の車に追突されて死亡した場合、胎児の死亡の扱いはどうなるのでしょうか。このような哲学的な問いかけにも井田先生は様々な事例を引き合いにしながら多くの考えるヒントを与えてくださいました。講義の終盤で「死刑」と「無期」の分かれ目における処罰の根拠など、議論の尽きないテーマが展開されるに至っては、まさしく「時間よ止まれ」の心境でした。
二日間で4時間半という極めて限られた時間の中ではありましたが、終わってみれば、?刑法は実行の着手からスタートし、処罰の対象となるものはまず行為でなくてはならない(行為主義)、?犯罪と刑罰は成文の法律をもってあらかじめ規定しておかなければならない(罪刑法定主義)、?違法行為への意志決定につき行為者を非難できない行為は、これを処罰することができない。刑罰の分量も行為に対する非難の程度に見合った重さの刑を超えるものであってはならない(責任主義)、という初学者にとっては実に難解な「刑法の三大原則」を、聴講された皆さまは無意識のうちに自然と理解してしまったのではないでしょうか。それは先生の話の内容が具体的で、ご自身の考え方のスタンスを明確に示され、そして哲学者のような風貌から流れ出る穏やかな語り口と、左右に動きながら時折見せる大きなジェスチャーに皆さまが魅了されたからではないでしょうか。
「『一罰百戒』は刑法の世界ではあってはならない」という先生の言葉がとても印象的で共感できました。少し視点を変えれば、量刑に一罰百戒を持ち込むことはなくとも、起訴、不起訴という検察の判断の中には一罰百戒の意志決定が働くことはあり得るであろうというのが私の感想です。
それからもう一点。厳罰化傾向にはメディアの責任が大きいという指摘はもっともです。ただ「光市母子殺害事件」報道を一例に挙げますと、今年3月14日に少年Aの死刑が確定した際、メディアの大部分は匿名から実名報道に切り替えました。一方で少年法の理念を尊重することを理由に従来からの匿名報道を貫いている新聞も少数派ですが複数あります。しかしながらそうした報道姿勢には「臆病だ」「弱腰だ」「遺族の心情を考えろ」などといった読者からの批判が想像以上に寄せられるのも事実です。私は、実名報道を原則としつつも、メディアがもつペンや映像の力は両刃の剣であろうから、報道倫理に基づく抑制を利かせた報道姿勢を支持する立場です。少年法が存在しているという事実と、刑罰は人権に対する過酷な侵害であると考えるからです。週刊誌、テレビ、新聞を一括りで論じることにも無理はありますが、今後も「報道と人権」の問題については市民とともに法曹界とメディアの議論が不可欠であると感じました。
以上が感想です。ところで皆さま、自宅のポストに「裁判員候補者名簿への記載のお知らせ」の封書がいつ届いても、もう不安はありませんよね。私もそうです。ただ井田先生の講義を聴いた後に「刑法総論」のレポートを書いていれば、及第点は間違いなしだったのになあといささか悔やんでおります。明日からしばらく恐る恐るポストを覗く毎日を過ごすことになりそうです。
結びに、井田先生の数ある著書の中から幾つかをご紹介して感謝の意をお伝えします。
【参考】
「基礎から学ぶ刑事法・第3版」(有斐閣2005) ※入門書として最適かと思います。
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「講義刑法学・総論」(有斐閣2008) ※「刑法総論」のテキストです。
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「刑法各論」(弘文堂2002) ※「刑法各論」のテキストです。
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「変革の時代における理論刑法学」(慶應義塾大学出版会2007)※井田先生の論文集です。
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